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2023/01/03/16:22

由井七郎家常

相模國鎌倉群極楽寺村由比郷の出身、由井七郎家常は、鎌倉時代の武士とされています。

 

平安時代末期から鎌倉時代にかけて、大進局が存在しました。

大進局は、源頼朝公に寵愛され、2人の間に嫡子、亀王丸(貞暁)が誕生します。

 

ですが、北条政子の逆鱗に触れ、京都にて出家したとされています。

この際、源頼朝公は由井家常の屋敷を訪れ、亀王丸に太刀を授けたと言われています。

 

亀王丸が京都に赴く際には、由井家常らが共をしたとされています。

 

同じく、源頼朝公と由井九郎右衛門の娘、花摘御前の間に授けった嫡子、頼兼もまた、源頼朝公の挙兵の際に、一緒に共した武士とされています。

 

この事からも、源頼朝公と由井一族の深い関係が、強く伺えます。

 

 

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2022/02/15/18:21

明治天皇からの賜り物を公開しました

明治天皇から賜ったとされる金の盃①、金の箸、金の盃②を公開しました。

2021/12/16/00:22

古文書②(写真②) 源頼朝公の挙兵と由井九郎右衛門頼兼(源頼朝公の嫡子)について

<現代語訳>

 

日本惣追補使である征夷大将軍の源頼朝公は、

治承四年、豆州において、国々の諸士一同の尊敬を受け挙兵した。

諸士各々は御供をし、同月二十八日、現在の神奈川県真鶴町から御船に乗り、

安房、上総、武蔵國に渡られた。

十月六日、相州鎌倉建〇桑川の辺にしばらく在陣した。

高倉院の治世の期間、頼朝公が三十四の時である。

吉凶を占うおもくじにより、同月十二日、由井の若宮八幡宮小林の郷〇〇峯へ移られ、

その後、大蔵郷に城を構えた。

長吏頭由井九郎右衛門頼兼は、長吏以下二十八番身分の者の支配、懲罰の権利を許された。

治承四年九月のことである。

源頼朝公より駿河國伊豆に領地を与えられた。(駿河國由比郷のことです)

恐れながら、源頼朝公が鎌倉で挙兵した当時からお仕えし者である。

 

* 後の由井九郎右衛門由緒書に繋がります

2021/12/16/00:18

古文書①(写真①) 建長寺奉行からの依頼書

<現代語訳>

 

 一、当寺大仏殿法皷 壱箇

一、拈華堂法皷 壱箇

 

右は、この度、鞭替について業務を依頼したところ、料金三十両として年数三十カ年で請け負うことになりました。

また、各別の出精により、この料金のうちから十六両を本山へ奉納致されました。

もちろん、後年に破損した際には、右の規定により鞭替をする約束であり、殊勝な心掛けです。

このため、当歳七月の祖師忌日には山内狼藉の者の取り締まりと、大太鼓の警護役を命じます。

以上、下文を通知致します。

 

建長寺当役 奉行

天保九年七月 由井長吏頭九郎右衛門

2021/12/04/02:29

由井一族の歴史について その②

鎌倉時代、由井一族は源頼朝公より駿河國にも領土を与えたとされています。

事実、駿河國には由井(由比)郷が存在しました。

 

いつしか、由井(由比)郷は由比町となり、現在の静岡市と合併されています。

 

相模國の由井(由比)郷と駿河國の由井(由比)郷は密接に関わっていたと考えられています。

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