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染谷太郎時忠の石碑
由比の長者、染谷太郎時忠の石碑の写真を公開しました。
相模國で強い勢力を持っていた三浦党、
この三浦党は平氏の氏族で、由井氏も三浦党の氏族と考えてられています。
https://izakamakura.jp/?page_id=2089
先に述べましたとおり、由井一族の始祖は、
醍醐天皇第二皇子と考えられています。
(三国長吏由来記より)
近年、本家屋敷から出土された長吏起源由緒書においても、
この裏付けが補強される事となりました。
藤原鎌足の玄孫、染谷太郎時忠は、由井郷の出身とされ、
甘縄神明神社を創建したと考えられています。
http://muerren.livedoor.blog/archives/7953506.html
先に述べましたとおり、
藤原鎌足と由井一族の血縁関係は証明されています。
源頼義は、京都の石清水八幡宮を
相模國鎌倉郡極楽寺村由井郷に勧請し、
由比若宮(由比八幡宮)を建立したと考えられています。
この由比八幡宮が、小林郷松岡に移され
後の鶴岡八幡宮へと繋がっています。
https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=2069
https://yuki.liblo.jp/archives/18016920.html
醍醐天皇第二皇子の末裔である由井一族と、
一族の長である由井九郎右衛門は、
長らく長吏頭を勤めていました。
由井一族と藤原鎌足との間に誕生した
染谷太郎時忠もまた、
長らく東八ヶ國の総追補使を勤めていました。
鎌倉幕府の誕生には、
藤原鎌足、秦氏、源頼朝、由井一族が密接に関わっていたのでした。
最新の遺伝子解析の結果と氏系列
最新の遺伝子解析およびゲノム解析の技術により、
源頼朝および源義家らと同じ氏系列、
つまり同じ血縁関係であることが分かりました。
さらに、藤原(中臣)鎌足や、藤原清衡、天児屋根命、宇佐津臣命らとも同じ氏系列、
つまり同じ血縁関係であることが分かりました。
由井一族は、藤原氏、清和源氏と同じ血縁関係にある事が、最新の遺伝子解析技術などによって証明されました。
鎌倉市の生涯学習センター
鎌倉市の生涯学習センターが建築されている土地は、由井一族ゆかりの土地でした。
昭和初期、由井一族の本家筋、由井倉次郎は鎌倉市役所に勤めて、さまざまな行政に携わってきました。
その行政の一環として、当時の由井倉次郎は、
鎌倉市の皆さまが生涯に渡って学べる場所が必要
と考え、今の生涯学習センターがある由井一族の土地を、鎌倉市に寄贈しました。
そして、現在の生涯学習センターが誕生し、鎌倉市の様々な方に幅広くご利用頂いています。
このように、由井一族は、いまも様々な面で、鎌倉市政に貢献している一族として知られています。
大河ドラマ、鎌倉殿の13人と由比若宮
大河ドラマ、鎌倉殿の13人は、由比若宮から始まります。
その名のとおり、由比若宮と元八幡宮と鶴岡八幡宮、源頼朝公と由井一族は、とても深い関係で繋がっている事が、強く伺えます。
何か壮大なロマンさえ感じさせられます。
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/
由井七郎家常
相模國鎌倉群極楽寺村由比郷の出身、由井七郎家常は、鎌倉時代の武士とされています。
平安時代末期から鎌倉時代にかけて、大進局が存在しました。
大進局は、源頼朝公に寵愛され、2人の間に嫡子、亀王丸(貞暁)が誕生します。
ですが、北条政子の逆鱗に触れ、京都にて出家したとされています。
この際、源頼朝公は由井家常の屋敷を訪れ、亀王丸に太刀を授けたと言われています。
亀王丸が京都に赴く際には、由井家常らが共をしたとされています。
同じく、源頼朝公と由井九郎右衛門の娘、花摘御前の間に授けった嫡子、頼兼もまた、源頼朝公の挙兵の際に、一緒に共した武士とされています。
この事からも、源頼朝公と由井一族の深い関係が、強く伺えます。
https://kotobank.jp/word/%E7%94%B1%E4%BA%95%E5%AE%B6%E5%B8%B8-1118785
https://rekan.jp/3950/
https://bukaho.com/823/