インフォメーション

2024/01/20/20:02

染谷太郎時忠の石碑

由比の長者、染谷太郎時忠の石碑の写真を公開しました。

 

相模國で強い勢力を持っていた三浦党、

この三浦党は平氏の氏族で、由井氏も三浦党の氏族と考えてられています。

 

 

https://izakamakura.jp/?page_id=2089

 

先に述べましたとおり、由井一族の始祖は、

醍醐天皇の第二皇子と考えられています。

(三国長吏由来記より)

 

近年、本家屋敷から出土された長吏起源由緒書においても、

この裏付けが補強される事となりました。

 

藤原鎌足の玄孫、染谷太郎時忠は、由井郷の出身とされ、

甘縄神明神社を創建したと考えられています。

 

 http://muerren.livedoor.blog/archives/7953506.html

 

先に述べましたとおり、

藤原鎌足と由井一族の血縁関係は証明されています。

 

源頼義は、京都の石清水八幡宮を

相模國鎌倉郡極楽寺村由井郷に勧請し、

由比若宮(由比八幡宮)を建立したと考えられています。

 

この由比八幡宮が、小林郷松岡に移され

後の鶴岡八幡宮へと繋がっています。

 

https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=2069

 

https://yuki.liblo.jp/archives/18016920.html

 

醍醐天皇第二皇子の末裔である由井一族と、

一族の長である由井九郎右衛門は、

長らく長吏頭を勤めていました。

 

由井一族と藤原鎌足との間に誕生した

染谷太郎時忠もまた、

長らく東八ヶ國の総追補使を勤めていました。

 

鎌倉幕府の誕生には、

藤原鎌足、秦氏、源頼朝、由井一族が密接に関わっていたのでした。