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「飛鳥・藤原の宮都」世界遺産へ
それまで農耕が主流だった日本において、
大陸から最新技術や政治システムなどが
導入され始めたのが飛鳥時代頃とされています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fa572f5f41a5ca9ae7afd81f8b0f599c1e5b0b0b
飛鳥時代頃から「天皇」を頂点とする中央集権国家が
築かれ始めました。
大陸からの最新技術の一つに、鍛冶の技術がありました。
この最新の技術、鍛冶の技術により、
刀や短刀などの様々な武器が生み出され、
奈良・平安時代を経て、武家政権である鎌倉時代の
誕生へと繋がっています。
醍醐天皇第二皇子を始祖とする由井家(由井一族)は、
鍛冶の技術や皮革製品の技術に優れた一族であったことは、
膨大な古文書類により強く認知、示唆されています。
この最新の技術である鍛冶の技術は、当時は秘技とされ、
天皇を頂点として、藤原家、源家、由井家など
ごく限られた家系にのみ伝承されました。
つまり、天皇家、藤原家、源家、由井家など
これら家系が密接に関わり、遺伝学的にも一致していることは
非常に自然なことでもあるのでした。
天皇家からの下賜品 その3
天皇家からの下賜品を公開しました。
今回は、純銀製の八稜鏡形鳳凰文ボンボニエールとなります。
天皇家と由井家との深い関係性を強く示唆しています。
和田氏と由井一族
平安時代の武将、杉本義宗を父として、
大庭景継の娘を母として、
和田義盛、和田宗実、和田義茂らの子がいました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%94%B0%E7%BE%A9%E7%9B%9B
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%94%B0%E7%BE%A9%E8%8C%82
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%94%B0%E5%AE%97%E5%AE%9F
和田宗実は、由井三郎とも呼ばれていました。
主に、相模國鎌倉群極楽寺村由井郷付近に
住んでいたとされ、後の由井正雪の祖とされています。
和田義茂は、高井次郎や高井義茂とも呼ばれていました。
後の駿河の由井郷、由井氏の祖とされています。
和田氏の家祖は、和田義盛とされ、
相模國の武将だったとされています。
その時代、その時代において、「由井」を名乗ると言うことは
それだけ意味深い、誇らしい事であることが伺い知れます。
鎌倉時代から現代まで現存し続ける
「頼朝公お墨付きの由緒書(長吏起源由緒書)」の存在は、
非常に重みある事で、大変貴重な史料である事が示唆されます。
ある種の「歴史の生き証人」とも言えるかもしれません。
藤原鎌足と染谷太郎大夫時志と由井家
「相模大山縁起」、「相模大山縁起絵巻物」、
「詞林采葉妙」などより一部を抜粋します。
染谷太郎大夫時志は、藤原鎌足の玄孫である
藤原鎌足の先祖神、天児屋根命
東大寺別当、良弁僧正が父親
強大な経済力を有し、由井の長者
東八ケ国の総追捕使であり、関八州の統領
文武天皇より聖武天皇の時代の間、鎌倉の由井郷の出身
以上のことから、藤原鎌足と由井家の強い関係性、
由井郷の出身で、由井郷に長らく居住しており、
醍醐天皇と藤原家、賜源性と源頼朝と鎌倉幕府と由井家、
天児屋根命と藤原鎌足と由井家の遺伝情報の一致など
強い関係性が示唆されています。
新編相模国風土記稿
新編相模国風土記稿は、天保12年に完成しました。
97ページに、「極楽寺の長吏」に関する記述があります。
当時から九郎右衛門のことを左衛門と呼んだり、
由井を由比と呼んだりと混同が見られますが、一部抜粋します。
源頼朝より長吏の配下を定めた橙状を持っていること
大永3年、鶴岡少別当から出された橙状を持っていること
長吏は、鶴岡丹きゅう役を務めていること
以上のことから、源頼朝公と由井家、
長吏頭として、長吏とその配下の支配を定めた橙状、
由井家による鶴岡八幡宮の支配・管理など、
長らく鎌倉幕府を支えてきた由井一族の存在が
強く示唆されています。