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2026/04/11/02:51
花摘御前と北条政子 その2
北条政子の嫉妬心は凄まじく、
頼朝公を独占しようとする強い欲により、
他の女性に子を産ませたと知るたびに、
家来に命じて母子ともに殺害することを繰り返していました。
この気性の荒さから、「炎の女北条政子」という
古文書が存在しています。
この古文書の45ページを抜粋します。
鎌倉釜利谷の長吏の娘菜摘御前を懐妊させると、
政子が母子共に殺そうとしたので、
別所の者達が伝達をつけ、
えの戸と呼ばれた、後の江戸に逃がした
やはり、花摘御前が源頼朝公の子を産み、
北条政子が母子ともに殺害しようとしたため、
江戸に逃がした。と明確に記されています。
この古文書は、明治3年生まれの三田村鳶魚が書いたもので
非常に著名な人物として知られている人物ですが、
明治時代から昭和初期でも、
源頼朝公と花摘御前、その嫡男・頼兼は
非常に話題性のある内容でした。
源頼朝と花摘御前、頼兼と長吏頭・由井九郎右衛門と由井家
明治時代から昭和初期まで、非常に注目されていましたが、
その後、日本は長い戦争の末に多くの古文書を失い、
昭和20年ころ、日本は敗戦し、財閥制度の廃止、
爵位や貴族の廃止、領地没収などで、
由井家は急速に衰退していくのでした。