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2026/04/11/02:25
花摘御前と北条政子 その1
「花摘御前の伝承」は、いまも様々な古文書が残されています。
古来から、男女の秘事は文書に残り難いものです。
そして、北条政子の気性の荒さや、嫉妬深さなどは
様々な古文書のとおり有名な話しとなっています。
そのため、頼朝公が他の女性に子を産ませる事で
家来に命令して、母子ともに殺害などしていました。
逆に、頼朝公からすれば、可愛い我が子を守るために
北条政子から徹底的に我が子をお隠しになられ
ウソの文書などをばら撒き、欺いたともされています。
古文書、「日本原住民族」の112ページを抜粋します。
長吏(由井)九郎右衛門の娘が花摘みをして居る処を
源の頼朝に見染められたのが花摘御前となって
男児をうみ、これに頼朝の頼の字をつけた
頼兼が、北条氏に追われて武蔵江戸平川の畔へ逃げこみ
とあります。
この事から、長吏頭・由井九郎右衛門の娘が、
花摘御前になったこと。
花摘みしている処を、源頼朝公に見染められ、
嫡男・頼兼を授かったこと。
源頼朝公と由井家の関係性、
鎌倉幕府の軍需物資を支えた由井一族
これらの関係性は、ほぼ疑いがありません。