写真
指定なし
2022-02-15 18:26:50
2022-02-15 18:26:39
2022-02-15 18:26:25
建長寺からの依頼書
<現代語訳>
一、当寺大仏殿法皷 壱箇
一、拈華堂法皷 壱箇
右は、この度、鞭替について業務を依頼したところ、料金三十両として年数三十カ年で請け負うことになりました。
また、各別の出精により、この料金のうちから十六両を本山へ奉納致されました。
もちろん、後年に破損した際には、右の規定により鞭替をする約束であり、殊勝な心掛けです。
このため、当歳七月の祖師忌日には山内狼藉の者の取り締まりと、大太鼓の警固役を命じます。
以上、下文を通知致します。
建長寺当役 奉行
天保九年七月 由井長吏頭九郎右衛門
2021-12-15 23:31:51
源頼朝公の挙兵と由井九郎右衛門頼兼(源頼朝公の嫡子)
<現代語訳>
日本惣追補使である征夷大将軍の源頼朝公は、
治承四年、豆州において、国々の諸士一同の尊敬を受け挙兵した。
諸士各々は御供をし、同月二十八日、現在の神奈川県真鶴町から御船に乗り、
安房、上総、武蔵國に渡られた。
十月六日、相州鎌倉建〇桑川の辺にしばらく在陣した。
高倉院の治世の期間、頼朝公が三十四の時である。
吉凶を占うおもくじにより、同月十二日、由井の若宮八幡宮小林の郷〇〇峯へ移られ、
その後、大蔵郷に城を構えた。
長吏頭由井九郎右衛門頼兼は、長吏以下二十八番身分の者の支配、懲罰の権利を許された。
治承四年九月のことである。
源頼朝公より駿河國伊豆に領地を与えられた。(駿河國由比郷のことです)
恐れながら、源頼朝公が鎌倉で挙兵した当時からお仕えし者である。
2021-12-15 23:30:35